2026.11.03. 06:47

[寄稿] 競争当局に必要な徳目は「慎重さ」だ

アンドリュー・ファーガソン 米国連邦取引委員会委員長

アンドリュー・ファーガソン 米国連邦取引委員会委員長
アンドリュー・ファーガソン 米国連邦取引委員会委員長。

フィレンツェはルネサンスの揺籃であり、商業資本主義が生まれた地である。13~14世紀のフィレンツェの人々は複式簿記、海上保険、持株会社、為替手形を生み出し、フランスやロンドンにまで及ぶ国際金融網を築いた。しかし、新たに生まれた富と権力は民心の反発を招いた。修道士サヴォナローラは、富を蓄えることではなく、その恩恵を共同体と分かち合わないエリートを叱責した。マキャヴェッリはここから教訓を得た。民は抑圧されないことを望み、エリートは支配しようとする。だから統治者はエリートではなく民と手を結ぶことで成功する、というのである。

この教訓は、今日の競争法の執行にも当てはまる。競争当局は市場参加者に強制力を行使するが、その役割は反競争的な行為から国民を守ることに留まる。規制対象企業の利益を守ることが我々の仕事ではないのと同様に、我々の理念や政党的な好み(選好)に合わせて市場を設計することも我々の仕事ではない。経営陣の判断に頼りすぎる狭い視野も、会議室で経済を計画しようとする過度な視野も、すべて「エリート主義」の誘惑である。我々は、抑制された政府というアメリカ建国者たちの「民衆的」ビジョンに従わなければならない。

そのためには慎重さを心に刻まねばならない。臆病という意味ではなく、目的を達成する最善の手段を見極め、選び、実行するという古典的徳目を指す。競争法の目的は国と市民の繁栄である。我々が自由で公正かつ競争的な市場を守ろうとするのは、そのような体制が労働者と商人、農民と銀行家のすべてを生産的かつ革新的にすることを長年の経験で知っているからである。

アメリカの自由企業体制は歴史上最も強い経済と最も革新的な企業文化を生み出し、多くの人々を貧困から救い出した。しかし、利潤追求は公共の善を達成する手段であって、それ自体が目的ではない。利潤追求が生産、革新、競争を促さないのであれば、規律を課すべきである。独占禁止法と消費者保護法はそのような道徳的節制の一形態である。自由市場の守護聖人のように見なされるアダム・スミス(Adam Smith)も、独占を公共の善の敵とみなした。彼の解決策は利潤追求を抑圧することではなく、独占された産業で利潤を追う人と企業の数を増やすことであった。

企業結合を調査し、競争を実質的に害さないと判断されれば、競争当局は身を引けばよい。しかし、重要な事件であるほど、それほど単純ではない。親競争的効果と反競争的効果が混在している場合、両者を切り離せるか、是正措置が訴訟に勝ったのと同じ水準で競争を守れるか、訴訟で勝つ可能性と負けた場合の結果はどうか、を併せて検討しなければならない。

慎重さが最も必要なのは垂直結合である。競争相手同士が合併する水平結合とは異なり、サプライチェーンの異なる段階にある企業が合併する垂直結合は、脅威が微妙である。結合企業が競争相手の原材料調達を妨げたり、コストを引き上げたりする可能性があり、競争相手の機密情報を入手して投資意欲を削ぐ可能性もある。同時に、二重マージンを解消し、取引コストを削減して価格を下げる効率性も、ほとんどすべての垂直結合で現れる。

このような場合、適切に設計された行動的是正措置を盛り込んだ合意が最善となり得る。短期的な懸念は大きいが長期的な利益が明確な結合を阻止すれば、社会はその利益を失う。現実も見るべきである。アメリカの競争当局は1980年から2017年まで垂直結合事件を一件も裁判に持ち込まず、2017年以降は5件を訴訟し、1件を除いてすべて敗訴した。裁判所は、企業が自ら提示した行動的約束を、懸念を軽減する重要な証拠とみなした。

もちろん、行動的措置は万能ではない。ある結合は訴訟リスクを冒してでも阻止すべきである。悪い取引を隠すための付け焼き刃的な処方に陥りやすく、競争当局が経済全体の競争の代わりに個別企業を際限なく監視することになりかねない。だからといって、前政権のように是正措置を一律に拒否すれば、取引を阻止するか、何もしないかの選択肢しか残らず、合意によって修正できたはずの反競争的結合が予算の制約の中でそのまま生き残る。差別禁止や情報遮断壁のような伝統的措置に加え、紛争を結合企業の費用で仲裁させたり、違反を告発する顧客を保護し、供給元を変更しようとする顧客を支援する条項も考えられる。

慎重な執行は、経験と状況、予想される結果に基づいて手段を冷静に評価することから生まれる。硬直的で膨張的な役割観は、法律、判例、市場の現実を見えなくする。自分の権限と責任を謙虚に見つめる「民衆的」視点が、競争当局をより慎重に、そしてより成功させる。

出典:米連邦取引委員会(FTC)、国際弁護士協会(IBA)競争法会議での講演(2026年9月5日、イタリア・フィレンツェ)

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